毎年、八月の終わりから九月の初めにかけて、オレンゴン州からワシントン州の沖合いに白マグロの群れが、どこからかやって来ます。
そして、マグロに魅せれた老若男女も、その群れを追っかけて、どこからかやって来ます。
今年は、釣友からのかねての誘いで、オレゴンの沖合い約3時間の魚場へ初マグロ釣りに挑んで来ました。
土曜の夜10時頃に家を出て、釣り仲間と11時に待ち合わせ、夜の静寂に覆われた高速道路を70マイルで、州道を3時間ほど気分よく南下して、眠けまぶたをこすり、こすり、マグロ港に着き、携帯の時計を見てみると、朝の2時過ぎでした。
寒い。寒い。とても寒い。
8月のオレゴンの朝は寒いのです。
船は外洋に出るので、波は荒いとのこと。
近くのスーパーで買った、酔い止め薬を二錠、口に放り込み、愛用の黄色のウインドブレーカーで身を包み、更に、スキー用の赤い毛糸の帽子で頭と耳を隠し、裸電球の明かりが爛々と輝いている船に乗り込むと、船は夜の静寂を一挙に打ち消すエンジンの響きをあげ、鼻につくガソリンの香りを海面に漂わせて出発しまた。
Here we go! 少し行くと、船は、遊園地のジェットコースターに豹変。
荒れ狂う海を、エレベータで5階から1階に、そして、また1階から5階に、上り降りするかのごとく動き始めました。
その執拗な上下運動は不快極まらなく、僕の下腹にヒューと稲妻を何回ともなく走らせました。
船は、時には、正面から襲ってくる波と波の間に入り込んだり、波の上に乗ったり、上ったりと、自然の驚異に逆らうことなく、前に、横に、斜めに、縦に揺られながら、前へ、前へと確実に進んで行きました。
ちょうど、昨日、シアトル日本語補習学校の、六年生の社会科の授業で、「遣隋使の乗る船が命がけで、木の葉のごとく、大波に呑まれながら、やっとの思いで、隋の都にたどり着いた。」と、子供たちに話していた自分を思い浮かべました。
ちょっと気分が悪くなりましたが、酔い止め薬のお陰で、甲板を僕の分身で汚すこともなく、なんと、そのうちに、眠気も調子よく襲って来て、目を覚ますと、波は落ち着きを取り戻し、太陽が地平線のかなたから何ごとく無かったかの様に昇りだし、それは新鮮な爽やかな朝を迎えました。
Let’s go fishing! 船長室の魚群探知機が魚の群れを感知しました。
毛むくじゃらで赤ら顔で大男の船長は、船のエンジンをストップさせ、足早に、生餌の鰯を、バケツから手早く、網ですくい上げ、我々一人一人の針に、彼の様相とは裏腹な、繊細な指で丁寧に確実に引っ掛けてくれました。
鰯はこれからマグロに食われるとも知らずに、ゆっくりと、スイスイと大海原に泳いで行きました。
しばらくすると、リールの糸が洗濯機の脱水音のような勢いで、ビュンビュン、ビュンビュン、飛び出し始めました。
マグロがかかったのです。
マグロが鰯をくわえて走り出したのです。
船長が言うように、ゆっくり、正確に、落ち着いて、8秒を数えて、リールに素早くストッパーをかけると、流れ出る糸はピタリと止まり、竿の先はあっとい間に、ぐいぐい曲がり、しなり、僕は、右に左に、竿を持って舟を走りまわらねばなりません。
マグロは走る。走る。そして走る。
ヤツらは、60マイル(100キロ)ぐらいのスピードで走る。
20分もマグロとレスリングをしていると、僕の竿を持つ腕、手首のありとあらゆる筋、筋肉が悲鳴を上げ出しました。
脚も諤諤、腕も強張り、のどもカラカラ、いつまで戦ったらええのや!と思っていたら、ヤツは、身体を反転させて、ふいと、水の上に、その男前の顔を出しました。
マグロだ。マグロだ。
そこで船長の渇。「力を緩めるな、絶対緩めるな。今だ、もっと糸を引け、」と鼓膜が破れるかの大声を出して、僕の真横で叫んでいます。
マグロはよく戦いました。
僕もよく戦いました。
そして、戦いは終わりました。
船長が、僕のマグロを甲板に大きなタモで投げ入れました。
その時、体中の血が逆流しました。
一つの仕事を終えた時にいつも経験する、例の安堵感や達成感で満ち溢れ、今日も釣りに来れて良かったなと思いました。
釣りは一匹釣れるのとゼロでは全然違います。
空手で、家に帰るときの、悲壮感、焦り、疲労感は寂しくて辛いものです。
マグロくん、僕は幸せです。
ありがとう。
その日の釣果は、結局、三匹。
おすし屋さんの友達に、釣れたマグロを解体してもらい、刺身やマグロどんにして、美味しく楽しく家族で舌鼓が打てました。
感謝感激。
ご馳走様。
また来年もこの季節が来たら行って来ます。
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- 2011.09.26 Monday
- シアトル
- 19:07
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- by sankon2009